2005年4月14日 あー 騒ぎたい!

 普通の大人なら、日常では大声を上げることは滅多にない。例えば仕事場で大声をあげたなら、周りから奇異の視線を浴び、ひんしゅくをかうに違いない。しかし、幼児がダダをこねて大声で泣き叫ぶように、大人でも本能的に大声を出したいに違いない。

 大人が自由に大声を上げていい場所がある。例えばそれは、サッカースタジアムでの観戦であったりする。浦和ならおそろいの赤いユニフォームに身をつつみ、そろって大声で応援する。試合の興奮はゴール直前の激しいボールの奪い合いと攻め合いに高まり、ゴールの瞬間、またはゴールをはずした瞬間に興奮と落胆が頂点に達する。これを自宅で静かにテレビ観戦してもいいはずであるが、やはりスタジアムで選手との一体感、まわりのサポータとの一体感の中で、大騒ぎすることが、ストレスの解消になっていることは間違いない。

 野球では、私設応援団が音頭をとって太鼓やラッパで応援している。時々テレビを見ていると。応援団長は観客の方に向いて指揮をとっていて、試合を見てないように見えることもある。また、時には、試合の流れとは関係なく、無意識のように動いて声を出してるように見えることもある。もはや試合観戦より自分で大騒ぎしたいために球場に来てるのではないかとも思える。
 
 抑圧された若者なら、ちょっとしたきっかけと条件がそろえば、大騒ぎしたいに違いない。毎年、どこかの成人式で必ず事件が起きる。成人式の前に例えばサッカー観戦させてガス抜きしてから成人式をやったほうがいいのでは・・

 中国では普通、集まって大騒ぎすると戦車に踏み潰される。ところが、今回に限っては、戦車が来ないし、公安当局からこん棒で殴られることもない。
「反日」の看板を掲げておけば、どんなに騒いでも平気だ。うっ積したストレスを解消するには最適だ。ガラスを割ったって相手が日系企業なら歯向かってこないし、第一日本は底力のある国だからこれくらいたたいても、つぶれはしないという気持ちがあるに違いない。

 70年代、日本では若者がベトナム戦争に反対し各地で反米のデモが起こった、参加している若者に筋金入りのイデオロギー猛者はあまりいない。多くは大学が休講になってるし、どこもいく所がないから、仲間と集まって、お気に入りのあの娘も来るらしいし・・という軟弱な連中が多かったのも事実である。
 デモしたからといって、何かが変ったわけでもなく、ベトナム戦争はなるようになっただけだった。 

 日系企業に対する破壊行動、日本人に対する暴力は、政府は言ってないが明らかに「テロ」といってもいいのではないか。中国政府がこれを容認したのであれば「テロ支援国家」???
 長いこと続けてきた「反日」教育がこんな形になることを想像したのだろうか。あるいは、正しい教育成果だったのだろうか。
 これから北京オリンピックもある。状況によっては不参加の可能性だってゼロとは言えない。
 中国政府は健康的なガス抜きを考えなければならないが、これを色々に利用したいんだろうな。