ベンツに乗る

 若くして成功した人が、例えば雑誌に載る。高級マンションに住み、フェラーリから
降りてきた青年は、ヴェルサーチのスーツを着ている。自信にあふれたその顔で、自社の
全国展開への展望を語る。
 若いころならあこがれの対象であったヤングエグゼクティブもこの歳となると、胡散臭い
輩に見えてくる。ヴェルサーチもフェラーリも自分のオナニーがいかにすごいか自慢してる
に過ぎない。そんなものは後ろに隠しておけばいいのだ。

 とはいえ、先にも述べたように、「貧しいから欲しがる」の法則で、30年前の小生の
一家は貧しかった故、ベンツに乗るのは憧れであれ、目標のひとつでもあった。
 体を真っ黒にして、家業を働きまくった兄はなんとかベンツを入手することができる
ようになった。ベンツといっても「縦目」の中古である。中古とはいえ腐ってもベンツ。
ボンネットのスリーポインテドスターは貧乏人には十分誇らしく輝いていた。
 日曜日には、兄弟を乗せて用もなく、あちこちドライブにでた。兄弟だれひとり彼女が
いないところが当一家らしいところ。

 小生も運転してみた。小型車に慣れた小生にとってこのベンツは一言で言えば「鈍重」
であった。でかくて2t近い車重は、加速も減速も緩慢、ブレーキそのものは効くものの
車重が重いため、まるで電車のように中々止まらない感じがした。これも、コツをつかんで
慣れてしまえば、別に問題になることではないのかもしれない。ただし、車幅はどうにも
ならない。実寸的にはそう大きいわけではないのだろうが、いつもの癖で駅前近くを通る
ときは気をつかう。
 北浦和駅の交番を過ぎるあたり、路上放置の自転車群は両側から迫り、狭い道をさらに
狭くしている。いつもの車なら慣れたこの道もベンツとなると勝手が違う。ベンツと自転車の
間を歩行者が体を横にしながらすり抜ける状態だ。「迷惑をおかけして申し訳ない。」
という気持ち。そしてこんな声が聞こえてきた。「こんな狭い道にでかい車では入ってきや
がって・・」、それを聞いて益々恐縮する。
 県内の某大学内キャンパスを走る。こんな声が聞こえてくる。「あれ?学生がベンツ
乗ってるの?」ここは某国立大学、おぼっちゃまのいっぱい居る慶応大学ではない。確かに変だ。

 ベンツに乗ると羨望の視線が集まるのかと思いきやこのていたらくである。最も小生は
羨望の視線を受けたことはないし、借りに受けたとしても、どうも居心地が良くないことは
最初から分かっている。自分にとって羨望の視線はどちらかと言えば不愉快だ。
 車として見たとき、当時のトヨタクラウンの方がずっと静かで、動作もスムーズ、車幅も
ほどよく、確かに運転しやすかったことを覚えている。(ベンツもちゃんと新車ならすばら
しい車である)
 「オレにはベンツはいらないな。」そう思った。
 その後、そのベンツは我が家にしばらく居た。本当は貧乏だったけど、自営業でベンツ
に乗ってるとそこそこお金持ちに見えるのか、長兄は彼女ができて結婚することが出来た。
女は車に弱いのかもしれない。確かにトラックでデートだったら、話は終わっていただろう。
ベンツといっても中古、型も古くガタの車だ。だが女には機械的な内情など分からない。
「ベンツはベンツ」なのである。
 このベンツは長兄の嫁ゲットの役目を果たした後に、ギヤ系の故障が生じた。修理代の
見積はベンツらしい一流の価格。修理はせずに廃車となった。お役ご免、ごくろうさまでした。