どうして猫社長なのか

 どうして、自称「猫社長」なのかというと、単に猫好きだからであるといってしまえば
簡単すぎるだろうか。ところで、現在猫を飼っているかといえば飼っていない。実は飼っ
ていたのは、小生が小学2年くらいから高校生くらいでその猫がいなくなってからはずっ
と飼っていない。かわいがっていたペットがいなくなってから、もう飼わないと決心する
かまた、別のペットを入手するか、人それぞれである。
 小生はもう飼わないと決めてしまったのだ。

 小生は5人兄弟の末っ子である。小生がずっと小さいころ当家では犬を飼っていたこと
もあった。小さな幼児に対して飛びついてじゃれてくる犬はとても怖くて苦手だった。犬
もこちらがビビッていることを分かっており、無礼にも噛み付いてくることもあった。
そんな幼児体験から今ではビビることは無いにせよそれほど犬は好きではない。第一犬は
近づくと吼えるか興味をもって飛びついてくるかでしょう、これをかわいいと思うか、無
遠慮な厚かましいやつと思うかである。猫は多くの場合知らない人が近づくと、すっと距
離をとる。まず飛びついて襲いかかるなんてことはない。餌がほしいときや甘えたいとき
だけ擦り寄ってくる。人に迎合して「お手」や「伏せ」など真っ平なところがいい。ここ
は小生に似てるか、逆に小生が猫に似てきてしまったところかもしれない。

 初めて、猫が我が家にやってきたときのことはよく覚えている。親戚のおじさんが羽田
のほうで拾ってきた三毛猫だ。「三毛はめずらしいのでつれてきた。」と言っていた。は
じめはそのおじさんの家で対面した。エジプト彫刻の猫像のようにすっとすまし顔で座っ
ている姿は凛として高貴にみえた。小学生の小生は初めて間近で見る猫の頭をなぜようと
恐る恐る手を伸ばした。小生の指がその猫の耳に触れたとき、猫はピンと耳をはじき、小
生の指をはじいたのだ。びっくりして手を引っ込めた。耳に止まった虫を弾き飛ばす動作
だ。それは貴婦人にぴしゃりとやられたようで、ますますその猫が高貴に見えたのだ。

 空気穴をいくつか開けた段ボール箱に入れ、兄たちと自転車の後ろにくくりつけて、我
が家にやってきた。最初は慣れさせるために箱から出さずに、半日程度置いて、それから
脱走しないように家の窓や扉を閉めたまま静かに箱から出した。猫にとっては新しい環境
を色々観察しているようであった。

 小生末っ子の憾みか、自分より下に子分または弟妹ができたように感じた。自分が好き
なようにできる相手がいるのは楽しいものだ。学校から帰ってくるのが楽しみだった。猫
の口を開けて歯の様子や、舌のザラザラ具合、耳の中を懐中電灯で覗き、前足すなわち手
の肉球を広げて爪を出したり引っ込めたりと科学少年よろしくずいぶん観察した。メスだ
ったので、乳頭の数を確認し片側に4個あるが一番上すなわち頭側のひとつは発達が乏し
く、実用的には下3個両側合わせて6個が有効、その結果同時に6匹の子猫まで授乳対応
できるだろうなど、どうでもいいような観察をしていた。猫にとってはいい迷惑かもしれ
ない。

 さらに、こうしたフィジカルな観察にとどまらず、行動についても観察したくなる。猫
は家の外に出るとどこにいくのだろう。なにをしてるのだろうとついていきたくなる。肉
や魚が大好きなのに何で細長い草を食べているのか?よく見てると、やがてゲロを吐いて
いる。後の文献を読み、あれが胃の中にたまった毛玉を排出する行動なのかと得心する。

 猫は排泄すると、敵に気づかれないように排泄物にまわりの砂や泥をかけて、においが
広がらないようにする習性がある。ところが家の中の板の間でおしっこのそそうをしてし
まった。回りの砂を集めようとしている、砂も何もないツルツルの板だ、手の肉球の
間に自分のオシッコがビシャッとしみる。気持ちが悪いのか手をプルプル振って、水分を
飛ばしていた。もちろんオシッコはそのままで隠すことはできない。やがてどっかに行っ
てしまった。「かぶせる砂もないのに、このような行動をするのは、本能なのか、はたま
た、砂の有無を認識できないおバカさんなのか。」などの考察をしていた。前にも述べた
がほぼ猫のストーカーであった。

 今と違い、ペットには人間の残飯を食べさせ、虚勢手術などするわけがない時代である。
放し飼いの猫は翌年には仔猫を産んだ。タオルが敷かれたダンボール箱の中で仔猫におっ
ぱいを吸わせている。大事そうに仔猫をそっと手で抱いている。自分から離れていきそう
な仔猫を手で引き寄せていた。

 その様子を見ているうちに、こいつは俺の子分ではなく、いつまでもガキの俺を飛び越
えてすでに立派な「お母さん」になっていることに気付かされるのであった。
 男というものはガキのまま歳を重ね「父」を演じてるに過ぎないのだろう。

 人に「犬派」、「猫派」と分類するなら小生は明らかに「猫派」である。ひとりコツコ
ツやっていくのが好きで仲間を集めワイワイするのはそれほど好きではない。ファンには
申し訳ないが、さいたま市(浦和)に住んでいながらサッカーに興味がなく、野球も見ない。
だいたいチームプレイができない。あの島田伸介さんが「元族の人は家に仲間や後輩を集
めて飲み会をし、大勢の仲間たちが盛り上がっているのを上座から眺めるのが好きなんや。」
と言っていた。もちろんそれは理解できるが、自分は徒党を組むことができない。

 そんなわけで、少年期に一緒に過ごした猫の生態が小生の精神形成に大きく影響を及ぼ
しているのだろう。

 この猫の最後はどうなったか・・ 続く