にゃら山節考 物語

 「猫のたたり」を信じますか?前回少年時代を共に過ごしたあの猫の末路は少々悲しい。

 ちょうど姉が結婚し、長女を妊娠しているころだった。実家つまり我が家にいるわけだ
が、このとき母は私の兄に命じた。「この猫をどこかに捨ててこい。」そんな話は聞いて
いたが実際のこととしてはとても考えたくはなかった。つまり、赤ちゃんが生まれれば、
環境を清潔にしなければならない。家の外も中も裸足で出入りし、外で何を食べてるか分
らない猫は衛生的に問題があると母なりに考えたのだ。小生は年老いた猫だが、まだ元気
であり、当然最後まで看取りたいと思っていた。もちろん「猫を捨てるな」と母に抗議し
た。そのXデーはほどなくやってきた。学校から帰ってきたら猫のいない静かな気配
「あれ、猫は?」「いないよ。」のあっけない答えが返ってきた。それから1週間くらい
はなにも手を付けられずに気が抜けたようにぼーっとしていた。

 すぐれた帰巣本能で帰ってこないかと期待もしたが、帰ってくることはなかった。
 可愛がっていた猫を奪われ悔しくて悔しくて、母を恨んだものだった。実際どこに捨て
たのかは分らない。実行した兄も命令した母もすでにあの世の人だ。この「猫のたたり」
をこじつけるとすれば、実行犯の兄は働き盛りに亡くなり、捨てることを命じた母は自分
より先に長男に先立たれる悲しみを味わった。今では一般的かもしれないが、認知症にな
ると家族がやっかいなのか施設に預けられた。健全なる「楢山節」といえる。さらに、そ
の時の赤ちゃんはすでに成人しているが、結婚後、わずか1年位で離婚してしまった。今
は独身である。これが幸か不幸かはわからない。

 猫のたたりなのか、単に偶然にすぎないのか・・
 これが猫社長の「にゃら山節考 物語」である。