回顧録でもないが・・ スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。昔から有名な人だったので先輩か思っていたら 小生と同じ歳であった。ちなみにビル・ゲイツ、孫正義氏は小生より1才若い。この世代が 今のIT時代の基礎を作ったことは間違いない。そのプラットホームのインターネット上 に様々なコンテンツや商売を展開したのは、楽天やら、グーグルの世代となる。 まさに、小生もPCの歴史と共に人生を歩んできたわけだ。キーボードと画面があり、 家庭に持ち込めるパーソナルコンピュータというものが生まれた。当時の代表的なPCと いえばAppleUである。当時とにかく高かった。本体だけで735000円。持って みると悲しいほど軽く、ふたを開けてみればガランとした中身なのに新車が買える値段。 だからAppleUを買う人はお金持ちなのである。だれがお金持ちかといえばお医者様で ある。たくさんのお医者様がAppleを購入し、その流れで今のMacユーザーのコアを 作っている。 パソコンショップに勤める その当時のことをすこしお話ししよう。時代は8ビットパソコン PC-8001,MZ-80K AppleUなどの全盛期だ。夢と野望に燃えた青年は(仮に後の猫社長としよう)今まで勤めてい た会社からこの業界に入ろうとしていた。元々そっちのタイプの人間なので勤務し ていた会社に定年まで勤め上げるなどとハナから考えていない。自分の目標のための一通過 点程度にしか考えていなかった。かといって会社の仕事をないがしろにしたわけではない。 それでどうしたらいいかというと、当時の雑誌広告でパソコン関係で元気のありそうな パソコンショップに応募した。最初の会社は落ちた。次の会社に応募したら採用された。 その会社はちょっとした「梁山泊」であった。だから誰でも募集したのかもしれない。 車が買えるほどのAPPLEが毎日のようにバカスカ売れる。ギザギザマーク超特価の文字が 雑誌広告で吠えまくり全国から客を引き込む。確かに安いが、実はメモリをサードパーティ 品にして、驚くような粗利をあげている。まもなく最初に応募して落ちたあの会社は倒産 した。「あそこに入ってなくてよかった。」「梁山泊」よろしく全国から猛者が集まる。 アセンブラからマシン語なんでもござれの男、回路設計やインターフェースなどなんでも 作れるやつ。そして、説明が分かりやすく見事にパソコンを売ってしまう俺のようなやつ。 そのショップの社長は良くも悪くも金の亡者だったのだろう。当時の若者は金がない。 だから時代の最先端テクノロジーで高価なAPPLEを自由にいじれる職場なら安い給料でも かまわない。時給何百円で作ったゲームソフトでも、思い切り売れたとしても、本人には バイト料のみ。そういうわけだからその人が退職するとサポート不能。こっちは お客との間に入ってたいへん苦労する。ひどいといえばひどい。こんな環境もしかすると いまだにアニメ、漫画、ゲーム、テレビの下請けの業界に残っているかもしれない。 人のいいソフトバンク 当時SOFTBANKが発足した。元はといえば各ショップで売っていたソフトを取りまとめて 流通させる目的であった。このアイデアは孫さんのオリジナルではなくその前に書籍に 記されていた。だれでも考えていたのかもしれない。SOFTBANKはとりあえず商品がなければ 商売にならないので、各ショップに声をかけ製品を募集していた。BASICで作ったゲーム カセットソフトが定価3800円、テープ作成原価は100円くらいだろう。当ショップでは このようなごみソフトをパソコンに2−3本付けて、価格設定すると、ものすごく割引価格 になったようにしてしっかり粗利を稼いでいた。ゲーム単独で売れるほどの製品ではない。 この社長はSOFTBANKの担当者に「これはものすごく面白くて、すごい売れてるんですよ。」 とかまして、その気にさせて、段ボールにガッポリ残っていた不良在庫を見事にSOFTBANKに しょわせていったのだった。当時俺は思ったね「SOFTBANKってひとがいいのか甘いのか」 1円も損したくない商売と、このちょっと甘いんじゃないかという商売どっちが勝ったか といえば、その後のSOFTBANKをみれば分かるはずだ。損したり儲けたりトータルで儲けがで ればいいという商売が結局勝利するのだという勉強になった。孫さんの偉いところは一度 SOFTBANKの経営をなんといったか失念したが警備会社の社長に任せたことだ。警備会社は 基本的に警察とか自衛隊のように規律の塊のような組織でマイコンショップに群がるマイコン オタクの連中と正反対なのである。これがその後の企業としての礎を作るのに大きく寄与 したことは間違いない、頭目がオタクで集まった連中もオタクだったら、たぶん企業にはなって なかっただろう。 その後あれこれ 当時勤めていたその会社も俺にしてみれば、自分で会社を起こすための1ステップに過ぎず 約2年ほどで退職し、そしてこのダイナックスを立ち上げたわけだ。当時の取引先の関係から 製品仕入れ問屋などの人脈が出来上がっており、スタートはできたわけだ。当社の話はここまで にしておく。その勤めていた会社は数年後に倒産した。絶好調だったその会社は大阪、名古屋 新橋、横浜など次々と展開していった。なんというか儲かると思えば異業種からの参入が増え 過当競争が展開される。梁山泊ではないが猛者を10人集めることはできても、全国展開した ショップに配置できる数十人の猛者を集めることはできない。店を作って、商品ならべて店員 置くだけでジャンジャン売れるほど甘くない時代になってしまったのだ。倒産後のそこの社員は どうなったかというと、取引先の会社に行ったりした。当時アスキーにも数人行った。「へぇー ある意味逆によかったじゃないか。」と思った。しかしである。数か月から1年位経ったら ほとんどアスキーからやめてしまったようだ。結局一流会社に入っても、本人に力がなければ 1年持たないんだなという勉強になった。 その後その会社は社長を変えて(名目だけで実質は元の社長)再登場、今度は安売りをメインに 展開、すこし頑張っていたが、やがて業界から姿を消した。その後のことは不明である。 あれやこれや書いたが、パソコン業界で当社は成長もせず、しかしつぶれもせず、ここまで 生き残っているのはとても珍しいかもしれない。昔の仲間はほとんどつぶれてしまっているのだ。 パソコンショップ系で残っているところなど・・自分の知ってる限り ない。 |