こんな詩はいかがだろうか

少年 猫を飼う
 全く言うことを聞かざるにおいて辟易する。しかしその可愛さに親しむ。

男 会社に入る
 思うことはできず、思わざること強制されるに辟易する。仲間との懇親は楽しいものの
 なぜか、給与は毎月きれいにクリアされる。

男 部下を持つ
 想定以上に言うことを聞かざるにおいて辟易する。大切な「あきらめ力」が身についていく。

男 結婚する
 期待しすぎない「あきらめ力」がつまり「大きな男」とか「ゆとりのある男」のように
 美しい言葉に化けていく。時代劇の戦国武将の妻などフィクションでしかない。
 テレビの「キムタク」の言うことは聞いてもオレの言うことは聞かない。

男 子供を持つ
 全く言うことを聞かざるにおいて辟易する。父の威厳なる概念は子供ゆえに理解できな
 いのではなく、存在そのものが無いのである。父の優位点は肉体的に大きく少しばかり
 お金を持っていることである。さらに敵はこちらに無限の生命と体力、無限のお金を持っ
 ていると思っている。実は限界は浅いことも、教える日が来るだろう。

男 振り返り見れば
 まだ、終わりに早すぎるが、歩んできたすべてにおいて、後悔があまりないのが不思議だ。
 猫でなく、犬だったら・・違う会社に入っていれば・・もう少しまともな部下なら・・
 別の女を妻にすれば・・  一切そういうことは思い浮かばない。その理由は、その時点
 その時点で、自分なりにベストの選択と努力をしてきたからかもしれない。まあ、努力不
 足は否めないが、後悔があるとすれば、自らいい加減な選択と努力不足という、自分に
 起因するものである。

人生 全く思うようにならざるにおいて辟易する。しかし、試合終了のゴングがなるまでは
不思議なことに そのリングを降りたくないのだ。
 しかしゴングが鳴った時は、自分のファイトを誇りに堂々とリングを降りたいものだ。

「嗚呼、まだ 努力が足りないか・・」