初見の「猿の惑星」

先日、テレビで映画「猿の惑星」が放映されていた。公開は1968年なので、わが少年時代
話題にはなっていたが、何となくこの歳まで一度も見ることなく時が過ぎてしまった。
そこで、今回テレビ録画で見たわけだ。大まかなストーリーは、人間が住めなくなった
地球を出て、人間の住める惑星に旅立つ、その着いた先は「猿」が支配する惑星だった。

 まあ、色々な展開があるのだが、猿を「モンキー」ではなく「エイプ」と英語表記している。
違いはよくわからないが、モンキーは日光猿軍団のようなかわいいお友達で、「エイプ」は
ゴリラやオランウータンのような類人猿のように使い分けるようだ。「猿」のような
人間から見た下等動物が惑星を支配していることに主人公は愕然とするわけだが、この「猿」
たちはどうしてどうして野蛮でもなければおバカでもない。これを象徴するシーンがある。

 この歳になると気づいちゃいます。「猿」たちはある場所に集まり、牧師らしき「猿」から
何か説話というか神?の教えを聴いているのである。「ハーンなるほど、つまり何らかの
敬虔な信者であることが、野蛮ではない文明人の証しということになるわけね。」
となります。小生、理工系の頭のせいか、SFは好きで、当時の科学技術の限界から多少の
科学的な理屈の通らないことでも作品として、それなりに楽しむことはできる。
 しかし、SF作品に急に「神の教えが」とか「神様が」とかという話がぶち込まれると
急に「あーあ。」と冷めてしまうのである。したがって、この作品もこのあたりから、なんか
つまらなくなってしまったのであった。

 となると「ハリーポッター」シリーズ、ファンタジーではあるが魔法の世界。科学とは全く
ちがう世界。正直言ってCGの画像はすごいものの、作者には申し訳ないが全くというか1秒も
楽しめないのである。何度かテレビで放送されてはいるが。最後まで見ることができず途中で
脱落してしまうのだ。

 だいたいハリウッドはもう限界だろう。激しいアクション。これでもかというCG、そして
制作費がかかるためにまず実績のある作品の続編を持ってきて、さらにスポンサーからの
製作費のかき集めのために、スポンサーの意向に逆らえず、どうでもいい内容に丸められた作品
になっていく。

 ハリウッドがアメリカを象徴するとしたらゴージャスでデラックスで豊かで
華やかな米国は実はペラペラのスクリーンに映った影であり、ゴージャスな建物は後ろに
回ればべニアでつくったハリボテである。申し訳ないが たった建国200年で、人種寄せ集めの
にわか作りの国家である。黒人が参政権をもったのは1971年とわずか45年前のことである。
 日本では裏に回っても、そこそこのレベルの日本人で構成されているが。米国では光のあたら
ない裏に回ったらそれこそヤバイ。どこの国の人か分からない連中がうごめいている世界。

 日米戦争に勝っちゃったものだから、調子に乗ったのか朝鮮、ベトナムまで手をだして、多くの
未来ある若者を失った。それ以来ずっと戦争しっぱなしである。日米の戦争感を比較したとき
日本では、前線の苦しみをトップが共有しているのに対し、米国や中東ではトップは安全な
場所で、兵隊をチェスの駒のように扱っているように思える。言っちゃ悪いが200歳の
ペラペラの若造が2700歳の長い経験を積み重ねて現在を成している老師(日本)に指図
するなど3000年早いわと言いたい。