幸せの見つけ方

 小生のような者が言うことではないが、この世の中はなかなかままにならない。
「まま」とは「儘」と書き、思うがままにならないということだ。自分でできるこ
とはなんとかしてきたが、どうしても自分ではどうにもならないことがあり。その
最たるものは恋愛であろう。こればかりは相手があることであり自己完結できない。

 そのほか、自分ではどう努力してもできない仕事や、自分ではどうにもならない
社会の動きや、頼んでもいないのに悪意を持って近づいてくる連中。
「ふざけんな!」と言いたくなるようなコンピュータウイルス・マルウエアの侵入。
 世の中のことはほとんど儘にならない。


 さてそんな中、自分はどうも不幸なのではないかとネガティブに考えてしまうこ
とがある。お金持ちの家に生まれていたら・・、土地を持っていたら駐車場にして
楽して暮らせる。一流企業に入っていたら・・とか色々だ。しかしそんな「タラレ
バ」はまず「無い」と考えるのが基本だろう。それならどこに幸せがあるのか?

 実は幸せは「何でもないようなことが、幸せだったと思う♪」ことからくる。
 パソコンの電源を入れる。一発でいつもの画面が表示される。これぞ幸せである。
電源を入れて「No Boot Device」(起動できるディスクがありません)
が出たら、間違いなく青ざめる。頭をかかえて、全身に冷や汗が噴き出る。
「一発起動のパソコンに感謝」

 車に乗り込みエンジンが一発でかかる。これも幸せだ。昔の車は寒い冬にはエン
ジンがかからず、色々なコツを使って始動したものだ。最悪ダメなこともある。
 当たり前のようにエンジンがかかり、いつもどおり仕事場にいければ、それだけ
でも幸せと考えていいかもしれない。
「一発始動の車に感謝」

 なんといっても朝 目が覚めて生きていることが分かれば、それは何よりだ。
誰だってどこかしら体の調子はよくないところはある。自分はまだましな方だ。
と思うことでもいいのだろう。
「我が肉体、健康に感謝」

 会社に行き、いつも通りの仲間がいれば、それで十分幸せといえる。
「みんなの笑顔に感謝」

見つけた幸せに一々感謝してれば、不幸感は少しは薄れてくる。

 もし、誰かからプレゼントをもらったり、想定以上の喜びがあったら、それは
もう宝物だ。

 プレゼントは物でなくていい。人は誰でも笑顔という金貨を持っている。
しかも、金貨は無限に量産できる。だれでも金貨をバラ撒きながら生きていける。

 女性や子供たちが笑顔で過ごしていれば、それが平和というものだろう。

(キザなこと言っちゃった。失礼しました。)