聖書漫談家? 高原剛一郎

 何気にYOUTUBEをサーフィンしていたところ偶然にも氏の講演動画サイト
に行き着いた。氏はクリスチャンであり、聖書を皆に読んでいただこうと
活動しているのである。氏の講演は情勢を的確に捉え、驚くべき博識、さ
らにその関西弁もあいまって、まさに漫談のごとく実に面白く飽きさせな
い。(肝心の聖書に関するところは何となく遊離してよく分からない。否定
するわけではないが、要するによく分からない)

 特にイスラエル、ユダヤ、中東の話については氏の真骨頂で饒舌を極め
ている。三大宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教についての
違いについて講演した(#88)は出色で、なるほどそういうことかと得心する。
 本文の最後にリンクを貼っておきます。

 比較的最近の、(#147)では、現在関係が悪化している日韓関係につい
て、韓国に対し最大限の配慮をしながらも苦言を呈している。いわゆる
トイレの落書きネット民のような物言いではない。氏の大人としての良識
が感じられるのだ。当時の段階でありながら、文在寅グループが明らかに
北方向に進んでいるのに対し、国民すべてが納得しているわけではない、
つまり韓国内では意見が二分されていることに言及しているのである。
日本の報道だけでは分からない。

 聖書や黙示録から世界の情勢を説明するが、たしかにキリスト教に依っ
て立つ西洋諸国は少なからず影響を受けているわけで、そういう視点から
は傾聴に値する。

 氏はクリスチャンといいながら、信仰しろとか、お布施を払えとかいう
ことを一切言わない。本当にクリスチャンなのか? 常々氏はこう語ってい
る「ユダヤ人を祝福するものは祝福される」ちょっと待て、小生の知ってい
るクリスチャンはこう言っていた。「世界の皆様に幸せが訪れますように、
ただしユダヤ人を除いて・・」む? どっちが正しい?

 正直、小生宗教に関しては素人であるが、キリストの扱い方になにか
違いがあるようで、キリストすなわちイエスを神の化身であるとする立
場と、神のフリをした人間である、ふざけるなという立場の違いがある
ようだが、門外漢の小生にはどうでもいいことである。

 氏の語るクリスチャンとしてのポイントは次のようである。
 人類、そしてこの宇宙は神によって作られた。同じ神といっても
人間があがめ奉る神ではなく、すべてを作った創造主である。

 種の誕生に、進化論では説明がつかないことが多々ある。そういう
意味で、ある学者は創造主という言葉は使わず、サムシング・グレイト
という表現を使っている。そういわないと生命誕生の奇跡は説明できない
のである。


 神は人類の罪をすべて背負うために、キリストに化身しておいでになら
れた。イエスは自分の罪でもないにも関わらず、その罪を引き受け、十字
架に処刑され、三日後に復活された。
 埋葬された墓に行ったら、イエスの死体がなくなっており、一部の弟子
が復活したイエスを見たとか、それがイエス本人なのか、幽霊のイエスが
弟子たちに幻想を見せていたのか、諸説あるようだ。

 その復活後はどうなったかというと約40日後に天に上って空から我々を
見守っているんだそうな・・ イエスの昇天とか言うらしい。

 聖書でもコーランでもきっと素晴らしいことを書いてあるに違いないが
あまりにも古くオリジナル言語も継承されないため、結局これを解説または
解釈する神学者の言葉にならざるをえない。後付け講釈の感は拭いされない。

 氏の講釈は良心的で、打算がない。神学者や僧侶が無知で貧しき者たちに
適当な説明をして、お布施を集め、巨大な教会やなんとか会館などをつくっ
てトップが贅沢三昧をしている宗教組織がゴマンとある。口先一つで集めた
多額のお布施は政治資金として政治家あるいは団体に提供され、その集票能
力と相まって宗教団体の政治的利権維持を構築する。

 変な宗教とは死後の世界の出来もしないカラ手形のウソ話でお金を巻き上
げようとするように思える。イスラム原理主義のテロリストのボス?

 また、断じて宗教を禁じる共産主義イデオロギーもおかしい。なぜ宗教を
禁じるかといえば、自分たちが宗教より上の立場に立ちたいからである。

 だから、日本では天皇制?反対を叫んでいる。新疆ウイグル地区ではイス
ラム教、チベットでは仏教を弾圧しているのだ。この共産主義が完成すれば
党幹部が世界を自由に支配できるという、生きながら自分が神の立場になれ
るわけだ。死後のカラ約束もひどいが、革命後の素晴らしい世界を生き
てる間に実現しようという夢を語り、現実には真反対のウソ話で党幹部
だけが贅沢三昧の階級社会を作るのである。共に汗を流そうという感のある
「共産」という言葉がまったくむなしく干からびているのである。

特に現代の中国においては共産主義とは名前だけが生き残っているものの、
みんなが人民服を着ていた時代から大きくかけ離れ、社会システムはすでに
原型をとどめない。監視システムはAI導入とともにハイテク化し、密告、暴
力による人民管理は人民の自由を奪い去っている。つまりこの独裁監視管理
及び威力実行部隊だけが共産主義の名残りとして現代に継承されている。

 これを共産主義と呼ぶのも不適当で、究極の目的として、金と権利を自ら
に集中させ、誰も逆らうことを許さないシステム。正しくは金権暴力管理
社会主義とでも名付けられるだろう。

 最初から不純だ。金持ち資本家を倒して、財産を分捕って自分が豊で幸せ
になる夢の世界を実現させる。方法は暴力。何のことはない強盗活動をイン
テリ風に味付けした屁理屈論文が放蕩クズ男マルクスの「資本論」である。

 全国の虐げられた労働者たちよ立ち上がれ。確かにブラック企業の労働者
ならその気持ちも分かる。だが、いきなり暴力はないだろう。会社を辞める
自由もあるし、訴える自由もあるはずだ。
 とはいえ本格的なブラック企業は容易に足抜けできないシステムを構築し
ているのでよくよく確かめてから会社を選ぶ必要がある。


 さて、宗教を否定はしないが、「人間は(罪人)つみびとである」というと
ころから始まる概念に小生は賛同できない。言いつけを守らず知恵の実を食
べた先祖のことは、申し訳ないが、「オレじゃないし、そんなのは知らぬ」
と言わざるを得ない。神(創造主)を信じないことが罪だという。創造主様は
それほど狭量のお方なのでしょうか。少なくとも全知全能ではないだろう。
 なぜなら自分の作り出した人類は、常に争いと失敗を繰り返しているので
ある。創造したが良品もあれば不良品もあるのだ。

 どこかの大統領のセリフではないが、日本が加害者であるという立場は
千年経っても変わらないなどという 事実無根のふざけたデタラメから始まる
国とは信頼関係が構築できないのと同じだろう。

 キリスト教の一大イベントとしては、自らに帰することのない罪を背負いて
十字架にかけられたということであるが、実は同じようなことが現実にあ
った。戦争責任は天皇陛下にないにもかかわらず、日本国民を救うために
すべての責任は自分にある、わが身はどうなろうと、国民を救ってほしいと
自らの命をマッカーサーの前に差し出した昭和天皇。窮乏生活で薄汚れた服
を着た小さな男が、マッカーサーの目にはリアル・ジーザスに見えたに違い
ない。

 さて、高原氏の漫談を聞いてクリスチャンになるかどうか、小生はならな
い。なぜならクリスチャンになったら神社にお参りができなくなるんだそう
だ。それは無理だ。正月に家族と初詣、お盆にお寺で送り迎え。日本人なら
当たり前のこれができないとなると、あたかも家族を捨て、祖国を捨て、
日本に居ながらにして、自ら異邦人となるような寂しさを感じることになる
のだろう。そんな寂しいことはできない。

11/10 追記
高原氏の述べていることの要点を一言で表すならば、昔から言われている
言葉 「信ずる者は救われる。」となる。しかし、東日本大震災の大津波は
「信じる者」も、「信じない者」も等しく海にさらっていくのだ。海底に引きずり
こまれた被害者の断末魔に違いがあるというのか ・・。合掌

世界3大宗教は何が違うのか? #88

本格化する米中衝突と中東情勢 #147
韓国問題については 44分あたりから