プレイバック ぱっと2 最近はテレビもネットも武漢ウイルスの 話ばかりで うんざりだという御仁も多い だろう。というわけで全く関係のないひと りごとをつぶやいてみる。 わが事務所のあたりをフラフラと散歩す る老人がいる。どこに住んでいるのか知ら ないが、この近所であることは間違いない。 散歩程度の適度な運動は年老いた者には 健康を維持するためには最適であろう。と ころがこのジジイ(あえて悪い言葉を使って しまいました)、なにか様子がおかしいので ある。通常の散歩なら比較的決まったコー スを移動するのではないか、あるいは小さ な水路に沿って季節の草花にに誘われるま まに景色を愛でながらの散歩もたのしいは ずだ。 この老人は、まったく用もないはずの当 社の後ろ側の敷地に入っていくのである。 見るべき草花もない、単にアスファルトの 駐車場があるだけである。小生も常時忙し いので「いったい何の用があるのだろう?」 といぶかりながら、駐車場あたりをフラフ ラしているのを何度か見かけたことがあっ た。 しかしある日、決定的な場面に出くわし た。小生が移動のためにこの事務所裏の駐 車場に向かったところ、なんとこのジジイ がいて、まさに立ち小便をしようとしてい たのだ。しかもその場所はわが猫印の当社 の車、運転席側のドアあたりを目標に立ち 小便をするべく、一物を出すために股間を ごそごそとまさぐっているところであった。 以前からこの駐車場のブロック塀に何と なく立小便をしたような形跡があったので もしかするとこのジジイがと思っていたが ズバリだった。ブロック塀ならまだ我慢も できるが、我が愛車にとなればこれはダメ だ。普段は声を荒げることない小生だが、 さすがにこれは許されない。 「おじさん! そんなところで小便しちぁ だめだよ、犬じゃねーんだから!」 大きな声を上げたものの「ジジイ」とまで 言わなかったのはまだ、小生にも多少の理 性が残っていたのだろう。老人は「すみま せん」を意味するように首をペコペコしな がらその場を去った。未遂で防げた。 「犬じゃねーんだから!」・・・・・ ♪ちょっと待ってプレイバック、プレイバ ック 今の言葉プレイバック♪ ♪それは小生が小一のころに、言われた言葉、 プレイバック♪ 昭和30年代 小学校に入学したばかりの 小生は学童、、というよりまだ幼児に近い 子供と思ってほしい。そんな子供が学校から 帰るときにおしっこをしたくなった場合、何の ためらいもなく立ちションをするわけである。 当時はアスファルトの道は少なく砂利道だ。 おしっこをするほうからすればなるべく植物 が生い茂り、おしっこが十分に浸み込みやすい 場所を選ぶという良識は子供ながらに持ってい た。この辺ならいいだろう。当時の学校は ブロック塀ではない。植木、つまり生垣で境界 を構成している。根元には十分な雑草が生えて おり、思惑どおり、おしっこは地面に吸収され 横に流れ出すことはなかった。すっきりした気 持ちで、その日は下校した。 問題は次の日であった。ホームルームの時に クラスの女子が手を挙げた。「先生、きのう 永瀬君が道端でおしっこをしてました。」 小生は 「え!何これ、まずいの?いけないの?」 「いつもやってることですけど・・」 「あの女子、余計なことを告げ口しおって!」 声には出ないが頭の中で色々な感情が高速回転 していた。その時の担任は若い美人の先生だっ た。「永瀬君だめよ。ワンワンみたいだね。」 それでおしまい。その女子が誰だったかまったく 記憶にない。この時言われた言葉が60年後に 自らにプレイバックするとは・・ その2 小生の一番キライな女はあの環境問題活動家 グレタ・トゥンベリである。当時16才だったか 国連という場所で人生の酸いも甘いもしたたか に潜り抜けてきた、お偉いさんたちを前に、 「恥を知りなさい!」と偉そうにガキの小娘が ノーガキを垂れている。言っちゃわるいが、 グレタちゃん、アンタ本当に勉強してるの? アンタの言ってること、結局誰かの入れ知恵 でしょ?そういうのを日本語では「受け売り」 というのよ。どう考えたって自分で研究した 様子は見えない。子供の知恵じゃないでしょう。 なんといっても、環境問題に対して最も問題 となる中国批判は一切出ない。バックに誰がい るか見え見えなんですけど。 ちょっと待ってプレイバック・・♪ あれは小生が会社勤め時代のころ、小さい会 社とはとはいえ、社員100人くらいのそこそこの 製造業だ。その社長に向かって入社一年の生意気 青年が偉そうに「貧すれば鈍する」みたいなこ とを言っちゃった。旧態依然のままの製品開発 やら、製造法などにいら立った血気盛んな青年の 熱き言葉といえばそうかもしれないが、今考え て見れば、鼻白む思いである。毎日同じことを 繰り返しているように見えても、幾多の失敗や 工夫の積み重ねが書類にはできない技術やノウ ハウの蓄積となっているのだろう。若造がチョイ と口をはさむのは畏れ多いのである。 あの時の社長はどんな思いで小生を見ていた のだろうか、少なくとも当時の小生よりはるか に修羅場を踏んだ大きな器の人間だろう。その 程度の言動で小生をクビにすることはなかった。 若き時代の受験で、仕事で、恋で多数の失敗 と挫折の繰り返しが徐々に人間を大きくして いくのか。今は「グレタ・トゥンベリ」は嫌い だが、憎しみはない。彼女が自分の目で物事を 正しく見て、自分で正しく判断できる人間に 成長することを願う。君を利用しようとしてい る悪い大人たちを見分ける力を付けて欲しい。 |