古い映画「天地創造」

 名前だけは聞いていたが、見たことのない映画は多
数ある。
 たまにテレビで放送されるので、録画して時間のあ
る時に鑑賞する。小生映画にも俳優にも詳しくない全
くの素人だということをご了承のうえでお願いします。

天地創造 1966年公開

 内容は『旧約聖書』の“創世記”のうち、1章「天
地創造」から22章「イサクの燔祭」までストーリー。

 ここではキリストは登場前である。
7日間で神は全宇宙を作った。アダムという人間を作
り、さらにエバを作る。全知全能の神はなぜか、イブ
が手を出すことを知りながら、知恵のリンゴの木を作
り「この実は食べてはいけない」と約束させる。

 つまり神とは全知全能(英語で All Mightyという
ようだ)でありながら、人間の犯す過ちを楽しんでい
るような悪い性格としかいえない。

 「絶対食べるなよ」と言いながら、封を切ったチャ
オチュールを猫の鼻先に出す。猫は迷わず食べる。
神なら罰を与えるが、人間なら「ダメな子ねぇ」と
言いながらチャオチュールを好きなだけ食べさせる。

 どっちが慈悲深く相手を愛しているだろうか?

 この映画のラストでは神を信じることを試すために
主人公に自分の息子を生け贄にせよと神が命じる。主
人公はなにも知らない無邪気な息子をつれて、山の祭
壇に向かい旅を始める。この親の尋常ならざる気持ち
は画面を通しても、キリのように心に突き刺さる。

 「いくら神と言えども、あんまりだ」この言葉に共
感しない者はいないだろう。日本映画「楢山節考」に
て、悲しみと絶望という目的地に向かって母を背負い
て山を登る緒形拳のなんとも表現しがたい表情に重な
る。

 しかし、これを見終わって、全知全能の神といいな
がら、結局人間の自由な行動を止めることが出来ず、
ノア一家以外を大洪水で絶滅させたり、約束を守らず
後ろを振り返った者を石にしたりと、到底友だちに
なりたくない嫌なヤツにしか過ぎないのである。

 オレを信じない奴はヒドイ目に合わせたる!

というロジックは到底私たちには受け入れられない。

 ああ、これだから、彼の宗教はニーチェにバカにさ
れるのである。神を疑ってはいけない、試してはいけ
ないといいながら、逆に人間を疑い、試しているこの
物語は矛盾だらけで、理解不能なのだ。

 私は日本に生まれてよかった。人間の自由な行動
(もちろん健全な)を制限されることはない。

 私は神を信じているかというと、信じている。信じ
ないとヒドイ目に合わせられるからね(www)