住み分けができるならば・・

 例えばキッチンの隅でゴキブリに出くわせば、女性ならキャーキャー大騒ぎだ。何とかしろと、こっちに命じてくる。丸めた新聞紙、殺虫スプレー、掃除など触れたくはないが排除したいということだ。しかし考えてみれば、人間に見つかったことで、つまりうっかり人目についてしまっただけで、ゴキブリは殺される運命なのである。家具の陰に逃げ込み、ようやく命拾いをしたと思ったら、異臭を感じ、その瞬間全身が焼けるように苦しくなる。
 三半規管が壊されたのか、天地がわからない、六本の足で全力で逃げてるつもりなのに足は宙で空回り・・・チクショー「ゴキジェット」という化学兵器を使いおったな。こんなところで、こんなところで・・ガクッ 絶命するのであった。

 野蛮な西洋人のように、楽しみのためにキツネ狩りをするような趣味はない。ましてや、平和に暮らしている森の中に土足で侵入し犬と馬で追い立てられるなんて、キツネにしてみればたまったものではない。

 さて、ゴキブリが憎いのではない。ゴキブリがもし、里山のどこかで生息していたのなら、別に構いはしないし、目の敵にされることはないのである。たまたま、人間の食している食べ物の残りかすが実においしそうな、実際あり得ないほどおいしいものを少しだけ頂戴したいだけなのに。ただ、礼儀はないので、適当なところで排泄、産卵繁殖をしてしまう。排泄物に菌やウイルスが含まれ、それが人間に有害なのかは知ったことではない。 一方人間にとってはその図々しい行動、異様な速さ、場合によっては空を飛ぶ。違和感キモ感絶大なる姿態、すべてが・・・人間の生活空間内に存在することが不快で有害なのである。

 犬猫などのペットとなる動物たちは、まず第一は人間を食べ物として襲わないのが最低の条件。さらに人間と折り合うすべを身に着け、専用トイレという決められた場所で排泄するよう躾される。つまり人間の作ったルールを受け入れ、そのあたりの最低限のルールを守っていれば、相思相愛の良い関係を続けていくことができる。絶対にルールを守れない動物ならケージという隔離された空間内のみで飼育される。小熊は小さいうちはとてもかわいいが、大人になると世話をしてきた飼い主であっても人を襲うといわれている。だから、基本的に共存はできず。もちろんペットにならない。
 
 人間の勝手といっては何だが、我々の仲間、あるいは共存していくのならたとえあなたが人間であっても、こちらの環境のルールを守ってもらいたいのである。いわゆる社会性とでもいうのであろうか。ところが同じ人間であっても、生まれ育った国、環境や宗教の違いによってはずいぶん違うことがある。宗教上の理由があるとしても、日本で土葬は許されない。いくら仲良しだからといって、許可なく友達の家から物を拝借してはいけない。同国人同士でコミュニティをつくり、自分たちのルールで統治し、日本人が中に入れないようなマイクロ国家を日本の中に作るのは許されない。日本の法律に反した自分たちの宗教的価値観とルールを勝手に適用するのも許されない。

 旅人が日本を訪れ、楽しんでいただくのは大いに歓迎するが、居心地がいいから、自分の国がダメだからといって安易な移民難民を受け入れるとはできないのである。我々日本人もけっこうギリギリでやっているので、そうは余裕はないことを理解してもらいたいのである。

 自分の国が景気が悪いので、日本にやってきて、いきなり難民申請し、さらに生活保護をくださいというのはふざけすぎだ。これを先のGに例えると「外国人差別、侮辱だー」と大騒ぎする。始末が悪い。

 世界にはヒドイ国が沢山ある。内政干渉はお断りといわれるだろう。そうであるとしても居住空間と里山のように、きちんと住み分けができていればなにも問題はない。問題のある国家や民族が9.11テロを働く、これはどうしたらいいのかという質問に、伊藤寛氏は「ディグニティ・dignity」という言葉を使った。意味は「尊厳」である。しょうもない民族や国家であり、仮に人民弾圧をしてたとしても、「それはそれで尊重、ただし私たちにはかかわらないでくれ」というスタンス。ひどい話だが、こっちからどうこうできる問題ではない。「切り捨て」しか選択肢がないのが残念ではあるが現実なのだろう。

 しかしどうしてGがここにいる。それは食べ物の残りカスが散らかって不潔になっているからではないか、きちんと掃除してあれば、滅多に出てこないはずだ。それが「私たちにはかかわらないでほしい」というメッセージだろう。

 イギリス、フランスの街を歩く人の半分以上が有色人種といわれている、徐々に白人がマイナー人種になっていくようだ。パリの街角を歩く素敵なパリジェンヌに心を奪われるロマンティックな状態ではないようだ。 汚れ仕事をアフリカや中東の移民たちに押し付けた結果ともいえる。一度住んでしまえば移民は帰らない。

 彼の国でもそうかもしれないが、「多様化推進」あるいは名前を変えて「男女共同参画」などという一見美しい言葉で、きれいだった居住空間に食べ物カスをまき散らかしている連中がいる。LGBTやら弱者と呼ばれる人たちが普通の人より特権を得られるように補助金という食べ物カスを巻き散らかすプロ活動家も勘弁してほしい。Gにも尊い命があり、共に共存できる社会を目指す・・・  バカか? 共存したくない。早くゴミを掃除しろ。Gを叩くことは勘弁してやるが、できれば侵入は遠慮してほしいと思うのは、人間のわがままなのか。