遅ればせながら「ゴジラ-1.0」を見てきた

 当初、話題にもなっているし、あちこちのネット情報でも評判がよろしい。日本での公開もすっかり時間がたってしまったが、そうこうしているうちにアカデミー賞で賞をもらった。

 見に行こうとは思っていたが、毎年のことで年度末の三月は時間的余裕が少ない。そんな中多少のゆとり時間に映画「ゴジラ」を見に行かないかと家族を誘った。「行かぬ」の答え。おそらく普通の怪獣映画だと思っているのだろう。つまり、怪獣が街にやってきて大暴れ、それを見かねたヒーローが登場して怪獣退治、街に平和が戻りました。チャンチャン。たしかに大スジは間違ってないが、幼児の大好きなアンパンマンがアンパンチ一発でバイキンマンをやっつけて終わりのようなハリウッド的単純なものではない。

 もう一つ、見に行きたいと思った理由がある。それはヒロイン女優の浜辺美波さんである。実は小生の同級生Kがこの浜辺美波さんが大好きで大変高く評価していたことを思い出したのだ。昨年の紅白司会も務められた文句なしの美女であることは知っている。お金を払って見る映画なのだから、見たいものは美男美女であってほしい。最近の米国映画のように行き過ぎたポリコレでルッキズムを無視するような配役はまっぴら御免なのである。我が眼球には御馳走が必要なのである。

 時代背景は終戦直後、焼け野原に帰ってきたのは特攻隊員でありながら特攻を逃げてしまい、心に大きなジレンマを抱えた男。この映画の山崎監督は1964年生まれ、もちろん戦後なので、この終戦直後の情景など、リアルタイムで知る由もなく、資料やら誰かの声で見聞きしただけだろう。それは小生も同じだ。山崎マジックは映像で見る者を昭和の時代に引き込んでいく。昭和の映像の中に浜辺美波が違和感なく溶け込んでいる。勤め始めのスーツ姿がやけに美しく、そこに令和の吉永小百合を見たようだ。

 ゴジラという存在は文字で表すならば「禍」であろう。ゴジラはなんの目的で上陸し暴れるのか、まったく理由がない。腹が減って人を食いたいわけでもない。むしゃくしゃして暴れる?そんなわけない。まさに突然やってくる大地震と津波のような存在である。口から光線を出す攻撃は核爆発のような破壊力があるのも恐ろしい。このあたりはテレビ画面では無理、映画館ならではの迫力である。
そのうちテレビでも放送することがあるかもしれないが、感動は1/10だろう。見てない方がいるなら、映画館で上映しているうちに楽しまれることをお勧めする。
 もう一つこの作品の良かった点はこの時代背景の作品によくありがちなイデオロギー臭が全くない事である。イデオロギーや宗教臭がちょっとでもあると「ああ、そういうことね・・・」と興ざめしてしまうのである。

 初めてかもしれない、エンドロールが涙で滲んでいくのをハンカチで抑えていた。