ソメイヨシノ考

 先週はちょうど満開だったが本日4/15の段階では2-3割の花が散って、多少葉桜になってしまった。花見の期間はせいぜい一週間と短い。やたら長く感じるスギ花粉の期間からすればほぼ一瞬のようだ。詳しくはないが桜には種類があり、ソメイヨシノという種類が花の密度が異様に高く、まさに全山ピンクに染める美しさを我々に届けてくれる。

 花は何のためにあるのかといえば昆虫たちの力を借りて受粉し種を残すためである。そのために目立つ色の花びら、香り、おいしい蜜を用意する。人間はその花と香りを楽しんでいるが、受粉に協力するわけではない。

 このソメイヨシノという種類は人工的に交配で作られた種類のようだ。ネイティブな桜ではここまでの密生した花をつけることはない。そこでこの一瞬で咲き誇り一挙に花吹雪となって散ってしまう儚さは様々な比喩の対象となっている。子供のころこれだけの花が咲くなら、どれだけサクランボが食えるのかと考えたことがあったが、残念ながらソメイヨシノに実は生らない。
 ただひたすらに美しき姿を我らに見せながら、美しいまま子孫も残さず、この世を去っていった薄幸の女優達に重なる。

 人に見てもらうためだけに全力で花を咲かせるのだろうか、その花を見ようとやってくる人間達の笑顔を見たいのか、そうとしか考えられない。あるいは自分をこんな種類に改造してしまった人間を恨むのだろうか?あと数日もたてば、花もなくなり、葉が生い茂り、その老木が桜だったのかどうかさえ人は忘れるだろう。また来年、僕は君の花便りを待っている。