芥川龍之介的 孤独なクモ

 事務所のトイレに小さなクモがいる。隅っこに糸を張り巡らし、エサが引っ掛かるのを一日中待っている。ここはビルの事務所、衛生状態もよく、昆虫が出入りするようなだらしない場所ではない。

 どう見てもエサなぞが来るはずがない。お前はどこからやって来て、ここで何ゆえに巣を張っているというのだ。ここにはお前の欲しいエサなどずっと来ないだろう。それでも、自動的に体が動いて、巣を張ってしまうのは、本能なのだろう。もはやそうするしか生きるすべはないのか、あるいは巣を張り、その真ん中でエサを待つ、それこそが彼の生きる意味、人生そのものなのか。

 バカな奴だ、ここで一生を過ごすというのか、かわいそうなので、撤去せずそのままにしておく。何日か経ったが、当たり前だが一度もエサがかかった様子はない。ある日クモの姿が見えない。ふと気が付くと床面にひっくり返ったヤツの姿があった。もちろん動かない。「とうとう死んだか・・」

ペーパーで除去し、トイレに水葬した。

 しかし、なんと数日後、同じ場所に巣を張って居るではないか。「キリストの復活」ならぬ「クモの復活」か? じゃあ、あの死骸は・・ ?
おそらく脱皮した皮の残骸だったようだ。

 人間の立場からすれば、ここはお前の居場所ではない。しかし殺すのも忍びない。体を破壊せぬようそっと容器に移し、外の草むらに開放する。少なくともこっちの方が、お前のエサがいっぱいあるだろう。お前が嫌いなわけではない。ただ俺の事務所で勝手に巣を張って生活するのは許したくない。

 こっちの草むらで好きなように生活するがよい。クモは葉の上を歩き始めた。立ち去るとき後ろで、バサッという音が聞こえた。

 野鳥がやって来て、ヤツは食われた。