募金はしません

 ずいぶん前の話だが、お客様にパソコンの納品をすることになった。お客様事務所近くに車を停め、リアゲートを開け、荷物を台車に降ろし始めた。

 すぐ近くのアパートから高校生くらいの歳の女が出てきた。一目でわかる不潔感の漂う薄汚れたジャージ姿、もちろん化粧などもせず、髪の毛も適当、パジャマ代わりのジャージで寝起きのままアパートから出てきたのか、もちろん面識もないし、自分としてはあまり関わりたくない人種といったら失礼だろうか。ところがこやつ、小生に気付くと急にこっちにツカツカ歩いてきて声をかける。「○○難民の支援をお願いします。」といきなり寄付を求めてきた。「○○難民支援・・」など手書きで書いてある擦り切れた手作り段ボール募金箱を持っていた。

 駅頭かどこかで数人並んで募金を求めるスタイルは見たことがあるが、こっちの作業中にいきなりピンポイントで募金を求めるなんて初めての経験だ。小生は失礼のないように丁寧に断った。先方も募金がもらえないことが分ればさっさと別の場所へ移動していった。これから、仲間とどこかの場所で集合し、募金活動を開始するのだろう。しかしその瞬間分かった。「コイツ、絶対募金のお金を自分のために使って、難民には一円も支援してないだろう。」あるいは「集めた募金は本部だか、親分が総取りして、末端活動員にはその一部を支給しているだけではないか。」

 それ以来、募金というものに小生は一切協力しないことにしている。本当に困っている人がいるなら、直接本人に支援することはあるかもしれないが、間に何らかの組織がある場合は絶対にお断わりなのである。

 しかし、こんな考えは狭量ではないかという自分を責める気持ちもある。しかしながら、募金という善意の行為に対して、以上のようなネコババ連中が実はあまりにも多いのだ。日本テレビの「24時間テレビ」ここでは子供たちが一生懸命貯金してためたお金を、子会社の幹部職員が10年にも渡ってネコババしていた。当人は懲戒免職になったとのことだが、それだけでいいのか、倍返ししてもらわないと納得できない。さらにタレントが24時間マラソンして、最終的にテレビ局にゴールする。大汗をかき体をボロボロにしながら頑張っていただくのはいいが、この意味が全く分からない。しかも数千万円のギャラがもらえるとなっているようで、どこがチャリティかとネット民は突っ込みを入れている番組なのである。二日拘束で五千万、こんなポロい仕事はない。「赤い羽根募金」「日本ユニセフ」、国連の「UNRWA」など国際的にも信用できないところが多い。こんなのも含めて「公金チューチュー」とか、あるいは「募金ガブガブ」などと言われてもしかたがないだろう。個人的には一切の募金をお断わりしているつもりではあるが、逃れることのできない税金やら公的保険は集めた連中が勝手にばらまいて「オレ、施してあげました。」というドヤ顔、「先生ありがとう」とお礼をするサギ組織の茶番劇、これを歯ぎしりしながら見ているしかないのである。

 こんなことをやってるから税金や保険料を無限に欲しがり、減税の「げ」の字もでない。それだけでは足りなくて政治資金パーティまでやっちゃうわけだ。
 現在、全所得の約四割が税金やら保険やらで、最初から没収される日本人、さらにそこから寄付だ募金だ、いいかげんにしろと言いたい。

 そういえば、以前、お得意先の社長が当時民主党の地元の議員を応援していた。特にどの議員がということもなかった小生なのでちょっと軽く「応援しますよ。」と言ったら、その社長たいへん喜んだ。小生の応援とは「一票」入れますよという意味だったのだが、その社長の考える応援とは「○○後援会」に入会して・・会費は○○円でと話し始めた。ちょっとちょっと・・お金がかかるの?
 それ以来 政治活動関連にもお金は一切出さないことにした。だって集めたお金で連中が飲み食いするだけなのが見え見えなのだから。貧乏人からお金を集めて連中が豪遊する。納得できるわけがない。