何が楽しいのか

 地方の観光地に行くと、小さな動物園があったりする。そこでは小動物と触れ合えるスペースがあったり、子供たちにとっては楽しいところだ。たいていそこには「動物の餌やり体験」と称して、餌を売っている。その餌を買って動物たちに食べさせて、その可愛らしいしぐさを楽しむのである。また動物園ではないが、白樺湖の観光スポットに行ったときは鯉の餌が売っていて、それを水面にばらまけば丸々太った鯉が大量に水しぶきと大きな口を開けてバシャバシャとまるで水中から地上に這い上がらんばかりの勢いで迫ってくる。まさに圧巻であった。アニメ映画の「崖の上のポニョ」の一シーンをほうふつさせ、小さな子供ならその鯉の上を歩けるのではないかと思えるほどであった。

 しかしよく考えてみれば、入場料を払わされて、さらに自分が食べるわけでもない餌を買わされ、我が子でもない他人の動物に食わせるというのはおかしな話だが・・

 小生が子供のころは、犬猫の餌は人間の食べ残し、つまり残飯であった。ペット用の缶詰にお金を出して買うなど当時は全く想像もつかなかったが、今はペット餌の産業は決して小さくはない経済規模になっている。テレビコマーシャルでも猫がおいしそうにチュールを食べている動画を見るだけで癒される。自分が食べるわけではない。猫のためだけの出費。

 犬を飼っている人なら、朝晩の散歩がかかせない。犬は縄張りパトロールをしながら、マーキング兼排泄行為を行う。この活動に人間が付き添いという労務を提供することになる。体を動かすことで人間のほうも血液やリンパの循環を整えるから、それなりにプラスか。とはいえ、こうした散歩はペットが意外な方向に行ったり、妙な物に興味を持ち異様にこだわっているペットの行動を楽しんでいるともいえる。
 
 この延長線上と言ったら叱られるかもしれない。家族で外食をしたときに、家族がおいしそう食べているのを見て幸せに感じる。

 妻と共にスーパーに買い物に行く、この時妻が何に興味を持ち、どの売り場で熱心に品定めしているのか、あとに続きながら観察件、荷物係という労務提供する。まるでペットが何かに興味を持って進んでいくのをついていくような感がある。今度どこに行こうとしてるのか?それを面白いと思うのは失礼なのか。しかしながら、洋服の買い物には付き合わない。こっちが全く興味を持てないものに延々と付き合わされることになるからだ。「こっちとこっちどっちがいい?」 と聞いてきたところで、回答など言うはずもない。こっちの回答など敵はハナから聞く気がないのがわかっている。

 家族が健康でおいしいものをおいしそうに食べてる姿を楽しむ、これが楽しいとか幸せということなのだろう。猫にチュールとおんなじじゃねーか。