上がりの車

 最後の晩餐問題ではないが、車好きの男は最後にはこの車に乗りたいという願望ががあるのだろうか。

その1
 数年前のことだが、我が事務所前にカッコいいスポーツカーが静かに止まった。「おや?」と思ったところで運転席から降りてきたのは、当社のお得意さんA社のA社長だった。
 「社長、いいですねぇ、コレは!」日産フェアレディZ、文句なしの国産トップクラススポーツカー。運転するのが若造なら似合わない。恰幅のよいロマンスグレーの大先輩、この車を乗りこなしている画が粋というものだ。眼を細めた、照れる笑顔で「いやぁ、もう最後だから。これ乗ってみたかったんよ。」自分への最後のご褒美か。

 「これで、奥さん連れて旅行とかいいですね。」と問えば、「ダメなのよ。女房はこれは乗り心地が悪いというので、評判はあまりよくない。」考えてみれば、本格的なスポーツカーだから、当たり前なのかもしれないが、まずサスペンションが固い。したがって乗り心地はゴツゴツしてることだろう。当然スポーティなバケットシートはふかふかソファーというわけにはいかない。車高の低さは、仮に高原をドライブしても、いまいち景色を楽しめない。奥さんにしてみれば観光バスの方がはるかに景色を楽しめるということだろう。その後、しばらくA社長を見なかったが、関係者からすでに亡くなったという話を聞くことになる。

その2
 もうすでに亡くなっているが、我が父も一度はベンツに乗ってみたいと言っていた。小生の兄は父の願いをかなえてあげたい親思いの息子を演じる体で実は自分でも乗ってみたかったのであろう、中古のベンツ「縦目」を買った。そのあたりの詳細は「ベンツに乗る」をお読みください。父も運転してみた。基本的にはうれしいことだろう。しかしどうも違和感らしきものが・・ 

 父が語る「俺がこれ運転してると、人から永瀬さん、よかったねぇ。今度は運転手の仕事に就くことができたんだね。」と言われるような気がするというのだ。白手袋はしてないが、もし白手袋をしてたら完全にキマっていたことだろう。
 当時の兄から老先短くなった父へのプレゼントはベンツ。息子からの思いやりを心に受け止め、運転したときの違和感も含めてのベンツ体験は父の思い残すことをひとつクリアして天国に旅立ったのだろう。

その3
 さて、その兄だが奇病「ギランバレー症候群」にかかって一度は回復したものの、時を経ずに60歳台前半で亡くなってしまった。しかし前述のベンツの廃車後、欲しい車があった。当時のコマーシャルで「いつかはクラウン」というコピーがあった。ベンツ時代に知人のクラウンも乗り比べて、確かに中古ベンツと比べるのもおかしな話だが、クラウンの圧倒的な静粛性、スムーズな乗り心地は大いに印象に残ったのだろう。そして自分へのご褒美、クラウンの新車を買ったのだ、とても気に入っていたようだ。自らの死期を意識しながら最後の我がままを実現させる。家族もダメとは言い難い、人情物語。実際にハンドルを握ったのは1-2年位だったろう。

 死期を意識すると、なにかやり残したことをあわててかき集める。それが人間の性「さが」なのだろうか。

 小生もなにか乗りたい車があるのかと問えば、「無くはない。」しかし、欲しいというモチベーションはほとんどない。現在仕事で使用している軽の商用車で何の不満もないのである。もし、小生がなにかクセのある車を購入したら、死期が近いと思ってもいいのかもしれない。今のところ購入モチベーションはないので、まだまだ、長生きできるだろう。